和彫りの名品 解説
てんしょうひしおおばん
天正菱大判
- 桃山時代 1588年
- 東京国立博物館
画像出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)を加工して作成
金貨は、いうまでもなく最高級貨幣として、古今東西で最大の価値づけがなされてきた。金貨の財的価値はまた、金色の色彩と相俟って、「かざり」の意識をも呼び起こすことがしばしばあった。
日本における典型的な金貨は、室町時代の蛭藻金(ひるもきん)にはじまるといわれる。楕円形の形状が蛭藻に似ることからの呼称で、量目を計って使用した秤量金貨ではあるが、すでに表面に鏨による装飾文が見られた。
このような装飾性を具備した日本金貨の完成形が、天正十六年に豊臣秀吉の命により製造された天正大判である。大判は一般貨幣と異なり、賞賜・献上といった贈答儀礼のための特製金貨なので、その存在そのものが「かざり」だったともいえる。天正大判の製作に当たったのは、足利幕府の抱え工で刀装具彫物の名門、京都・後藤家の直系、徳乗と祐徳であった。表面の天地に打った五三桐紋の極印(きわめいん)を、徳乗は円形、祐徳は菱形とし、本品は後者で、その形により菱大判と呼ばれた。表に「天正十六、捨両 後藤(花押)」と極め(鑑定銘)が墨書され、これを墨判(すみはん)と称していた。大きな墨判は、金工師後藤家の権威性を如実に物語っている。もっとも、墨判は剥落しやすく、「認替(したためかえ)」といい、後藤一門に判賃一分を支払い書き替えてもらってから使用した。したがって、製造当初墨判はほとんど存在しない訳で、当然の成り行きとして後世の偽筆も生み出すこととなった。
大判製作は、一般的な金工とかなりニュアンスを異にした技法によっており、工芸史的にも面白い。金に銀と少量の胴を含んだ地金を薄く延ばして成形される。表面には、横長で断面U字形の鏨(たがね)を密に打つが、これも明らかに装飾性を有する。慶長大判の段階では横七列に打つという定式まででき、偽作防止を兼ねた飾文様となった。裏には、表からの鏨打ちの凹凸を平滑にするための調整鏨が打たれる。なお「藤」の字付近に方形の埋金があるが、これは量目を最終調整するためのものという。
出典
特別展覧会 「金色のかざり」 金属工芸にみる日本美
解説:久保 智康 発行:京都国立博物館