和彫りの名品 解説
きんつる ぎんじゅし
金鶴及び銀樹枝
- 国宝
- 平安時代 12世紀
- 春日大社(奈良)
春日社の摂社である若宮は、長承四年(1135)に創立され、藤原摂関家がこれに深く関わった。この年から保延三年(1137)にかけ、右大将藤原頼長(のち左大臣となる)らが中心になって古神宝を奉納した。本品はこの時の記録に記載がないが、昭和五年に若宮より撤下された品々の中に見出されたもので、作行きからも創立期の奉納品とみて間違いない。
鶴は金無垢で、翼を広げた状態で銀樹枝上に脚をそろえて立つ。目や羽根など細部は丁寧な蹴彫りで表される。樹枝は二枝あり、銀の細い棒を鍛節して形造って、枝先も細かく分枝する。同じく若宮御料として伝わる木製磯形に立てられたものらしい。
蓬莱山といった中国神仙の山の憧憬や、古代日本の自然神が住まう山への信仰を背景に、奈良時代ころから山をかたどった飾り物が造られるようになった。蓬莱山には鶴が舞うと説かれるように、このような山の造り物にしばしば鶴が添えられた。仁明天皇の四十賀では沈香製の山に金鶴を据えたという(『続日本後記』嘉祥二年[849])。また洲浜形や磯形に自然の景物を造ってかざる風流が王朝貴族の間で流行り、そこでも鶴が常連となる。
若宮御料の金鶴と銀樹枝は、このような吉祥の飾り物を神に献ずるために奉納されたものと思われる。鶴がとまる枝の先を二、三枚の薄板で分枝させる表現は、おそらく松樹を意識したもので、銀樹は荒磯(ありそ)もしくは蓬莱山に立つ、松葉とみてよかろう。松樹と鶴の組み合わせは、平安時代後期以降、最もポピュラーな吉祥意匠の一つとなったが、本品はそれらのイメージの原風景を示すものにほかならないのである。
出典
特別展覧会 「金色のかざり」 金属工芸にみる日本美
解説:久保 智康 発行:京都国立博物館